神戸の歴史を彩る神戸まつりについて
「神戸まつり」は昭和46年に市民参加型の画期的なまつりとして誕生しました。
伝統的な「祭り」と比べ歴史の浅い神戸まつりですが、そのルーツは意外に古く、今から70年以上さかのぼることになります。
神戸まつりのルーツのひとつが「みなとの祭」です。
第1回みなとの祭が開催された昭和8年当時、経済は全国的に不況であり、神戸も例外ではなく、これを払拭することが求められていました。
折から来神中のアメリカ、ポートランド関係者から同市のローズフェスティバルの話を聞くに及んで、当時の市長がこれを参考に市民祭として企画した祭と言われています。
伝統的なまつりと異なり、市民創造型の新しいタイプのまつりでした。
行事の内容としては、みなとの女王の戴冠式、国際大行進、市電の軌道上を運行した花電車、懐古行列、市内の電飾などが行われました。
この年以降もみなとの祭は回を重ねますが、次第に戦時色を濃くし、賑やかな催しは中止され、神事だけが行われるようになりました。戦後、昭和23年に復活し、25年の神戸博覧会を機に懐古行列が、その翌年に国際大行進が加わり次第に戦前の賑わいを取り戻していきました。
神戸まつりのもうひとつのルーツが神戸カーニバルです。
昭和42年の神戸開港100年祭の一環として、みなとの祭も例年の10月から5月に繰り上げて盛大に開催されました。その前夜祭として行われたのが、神戸カーニバルでした。
これは報道関係者の発案に、商工会議所、青年会議所、婦人団体協議会など多くの団体が賛同して開催されたもので三宮東遊園地を中心に、歌、踊り、仮装などのパレード、芸術家グループによる壁画、若者たちの青年広場など光と色と音楽にあふれた楽しい祭典でした。以後、5月の祝日とその前日の2日間開催されるようになりました。
その後、市内の交通事情の悪化でみなとの祭の懐古行列、花電車の実施が難しくなってきたことなどいろいろな問題が発生し、検討委員会の答申をもとに昭和46年に「みなとの祭」と「神戸カーニバル」を発展的に解消して、「神戸まつり」として、毎年5月の第3日曜日に実施することになりました。
第1回神戸まつりは「花と海と太陽の祭典」をテーマに開催され、クイーン神戸を選出する中央祭典を皮切りに、70団体が参加したパレード、若者によるサンバ、演奏が夜まで行われた青年広場などが実施されました。
神戸まつりはその後も新しい行事を増やしながら着実に市民の祭りとして定着していきましたが、阪神大震災の起こった平成7年の第25回神戸まつりは残念ながら実施することができませんでした。
その翌年、「祈り・感謝-生きる歓び」の特別テーマのもと、時期を7月にして神戸まつりは復活しました。パレードなどの主な行事はハーバーランドで行われ、参加者の元気な歌声、演奏が響きわたりました。また、秋田県の竿灯などの日本各地の夜祭や、リオ市からはたくさんのサンバチームが応援に駆けつけてくれました。
そして、30回記念として行われた平成11年の神戸まつりでは、花電車、懐古行列の再現(秋に実施)をしました。
そして平成14年の第32回神戸まつりから、開催時期を参加団体、来場者の要望をふまえて5月に戻すことになりました。今後も、神戸まつりは、市民参加のまつりであるという原点に立ちながら、できるだけ多くの人に神戸に来て、楽しんでもらえるような、魅力あふれるまつりにするため、参加者、市民の皆さん、来場者とともに創っていきたいと考えています。
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